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【有線放送アーカイブ1】わら半紙から始まった夢、有線放送事業

三ヶ日町農協で有線放送事業が始まった経緯は、昭和25年に貯払い停止・再建整備組合となった農協に中央会から原茂吉再建特別指導員が派遣されたところから始まります。昭和285月、農協青年部の結成準備委員会の席上、原指導員は「将来の三ヶ日町を夢見る」“今日より明日へと楽しい住みよい郷土の建設”と手書きしたわら半紙を配りました。そこには「農協に一億円の貯金ができれば、その金利で全地区へ有線放送が実現できる」という壮大なビジョンが描かれており、地域の未来を拓く希望の光として多くの若者の心をつかみました。

昭和34年の世論調査で多数が有線放送は必要と回答し、本格的な有線放送事業の準備が始まりました。同年9月には1,670本もの電柱が続々と運び込まれました。しかし、伊勢湾台風が襲来し、三ヶ日駅前に積まれていた電柱は押し寄せた水で流されるなど工事はつまずきました。実情を知った青年部が工事手伝いの労力提供を申し出て、200人余りの盟友が協力してくれました。ミカンが色づく頃には、架線工事が始まり、農協事務所の西側には放送室と交換室が建設されました。

昭和35321日、共電式60回線、加入数1225戸(1回線平均16戸加入)、基本料1ヵ月200円で三ヶ日町農協の有線放送が開局しました。構想から7年後の始動でした。

原指導員手書きのわら半紙が有線放送の出発点

伊勢湾台風の被害も盟友のマンパワーで乗り越えた

6人の交換手は高蔵寺農協で研修を積み三ヶ日に戻った

昭和35年当時の有線放送機器

有線放送事業の立役者、原指導員(前列中央)

 

有線放送の歴史(19521960年)

昭和281

再建整備組合に原茂吉特別指導員が中央会から出向

 

昭和28

原指導員の提言で農青連結成が進められ、準備委員会で「将来の三ヶ日町を夢見る」と書かれたわら半紙が配られる。紙には全地区への有線放送実現のビジョンが記されていた

 

昭和287

月刊機関紙<農協ニュース>発行開始、昭和353月で休刊(有線放送の誕生により番組編成や取材活動に人手が必要となったため)

 

昭和345

農青連盟友の強い要望で世論調査を実施(多くの人が有線放送が必要と回答)

 

昭和349

伊勢湾台風襲来。三ヶ日駅前に積んでいた有線の電柱が流されるアクシデント発生。事情を聞いた農青連盟友200人あまりが労力を提供。町内各地に電柱を運び、建柱に協力

 

昭和341114

起工式

昭和34年当時、農協固定資産残高700万円。この二倍以上の1600万円が有線放送施設事業費としてかけられた。

当初の有線加入希望戸数は1163戸(組合員数1316戸に対し約88%の加入率)

基本料金1ヵ月200

 

昭和35321

有線放送開局

共電式60回線(加入戸数1225戸)

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